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駒の話シリーズ 16:殷周時代の馬

 今回は中国の古代王朝で“商”と自称していた殷(紀元前16世紀~前11世紀)から周(紀元前11世紀~前3世紀)にかけて制作された青銅器に、銘文図形として現わされた馬の話である。

 筆者の友人で世界の青銅器を調査、研究して、図録データベースを作成されている山崎隆保氏が東京大学東洋文化研究所図書室で『商周図形文字編』(王心怡編 文物出版社 2007年 801p)を見つけられて、情報を戴いた訳である。

 私たちの殷の印象は極めて粗暴であるが、実は高度の青銅器と甲骨文(文字)を持つ当時としては高い文化を持った王朝である。

 『商周図形文字編』には33葉の鋳刻した馬が記載されている。33葉のうち家馬が25葉、これらの馬は農耕用か運搬馬であり、他の8葉は戎馬で軍用馬である。

山崎氏も指摘されているが、これらの馬は秦の始皇帝の兵馬俑(中国・西安)の陶馬俑と比べると、馬高が飼い主の身長よりも低く大変小形である。時代は下がるが、『三国志魏書東夷伝』の高句麗条の「その馬皆小さく、山登りに便利である」、(わい)「果下馬の高さ3尺」などとある馬に大変似かよっている。

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