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駒の話シリーズ 60: 『新編相模風土記稿』の駒形

 

 『新編相模国風土記稿』は『新編武蔵国風土記稿』に続いて編纂されたものである。この書の序に「和銅年間(92331)の勅で古風土記が作成されたが悉く亡失、延長年間(70815)にも再度符を下されたが散失している。いまこれらの残篇と称するものもあるが信じられない、とくに相模国にものは旧編ではない。そこで武蔵国に引き続き相模国でも地誌を編纂した」としている。この編纂事業は天保121841)年に総計126巻の原稿が終了して、浄書された。

 相模国の建地沿革について首巻(巻之2)で「相模の名義、いまだ詳に弁ぜしものを見ず」と断りながら、幾つかの説を上げている。その説とは、嵯峨身説(神武帝が東征の時、山頂より当国を眺めた)、坂上の省説(足柄坂から)、佐賀牟説(橘姫の歌)、左加牟説(国造名の師長は余綾郡の磯長のことであり、北方山間地を左加牟とした)などである。

 『新編相模国風土記稿』に登場する数少ない駒形を報告する。

・駒形社(大住郡今泉村・現);神体木造、例祭正月、618

・駒形社(足柄下郡相和村・現大井町);村の鎮守なり。表面に少女像、裏面に「奉寄進 駒形大権現御生題相州西郡酒匂御代官岡部出雲守廣定 天文2272日」の銘ある銅鏡を所持する。

・駒形権現社(大住郡丸島村・現平塚市);村の鎮守なり、昔は和田宮とも唱ふ。神体礼束の木像、例祭621日。古棟札6枚を蔵せり(最古の棟札は天文6年・1537以前と推測されている)。

・駒形能善高根権現合殿(足柄下郡元箱根・現箱根町);箱根三社権現内、駒形は大磯高麗権現を勧請す。

・駒形権現(足柄下郡元箱根・現箱根町);駒ヶ嶽(往昔は般若ヶ峯といへり)の山頂にあり、当山の地主神なり、聖占仙人の勧請する所なり。

・八町駒形権現(足柄下郡元箱根・現箱根町);八町坂の傍にあり、元禄41691)年勧請す。

・駒形社(足柄下郡湯本村・現箱根町);鎮守なり、例祭正月18日。

・高麗権現社((ゆる)(ぎ)郡高麗寺村・現大磯町);高麗山の頂にあり、又左右の峯に白山毘沙門を勧請す、合て高麗3社権現と号す。

・駒留橋(足柄下郡風祭村・現小田原市);東海道中湯本村界の清水に架す、石橋なり。橋上に頼朝卿の馬蹄の跡と云あり。
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