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駒ヶ根だより

 我がファンクラブ 西の絶景王 ”化石片人” さんから 超大作が届きました。

 24~28日と駒ヶ根滞在でした。

 24・25日は、午後伊那市長谷公民館「戸台の化石」資料室往復。

 26日は、南アルプスジオパーク・高遠ぶらり(中央構造線板山露頭・美和ダム・桑田薬師堂(古代伝説)・ざんざ亭(特別メニュー昼食)・戸台水力発電所(大正時代設置)・お鷹井筋遺跡などの観察見学)に応援参加。

 27日は、「戸台の化石」資料室・伊那市創造館(企画展示応援)。

 28日は、南アルプスジオパーク協議会・学術部会例会のため、飯田市美術博物館往復。

 24・25・27・28日の午前中は数時間ずつ、駒ヶ根の山家で野良くら生活。まだ山菜も多少は摘めたり、土手の草刈りをしたり、ジャガイモやニンニクなどの草取りや手入れなど・・・。

 次回は6月7~10日に滞在します。

 24日12:30ころ駒ヶ根山家より宝剣岳を望む。

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 同日 12:45ころ天竜川河畔より西駒連峰を望む。

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 25日08:45ころ駒ヶ根山家より宝剣岳、24日より霞む、26日はさらに霞む。

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 26日08:45ころ駒ヶ根市東部中沢峠にて、路傍で日向ぼっこするアナグマ。

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 同日 09:30ころ伊那市高遠町高遠図書館より、西駒の雪形「下がり駒」。

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 26日08:50ころ伊那市長谷地区に咲くキリ(桐)の花。

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 同日 同刻ころ伊那市長谷地区に咲くフジ(藤)の花。

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 26日18:20ころ伊那市長谷地区女沢林道より、東(甲斐)駒ケ岳。

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 同日 同刻ころ伊那市長谷地区女沢林道にて、イヌザクラ。

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 26日18:30ころ伊那市長谷地区女沢林道より、東駒・仙丈ケ岳を望む。

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 同日 18:40ころ駒ヶ根市東部宮沢峠より、中ア連峰を望む。

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 同日10:00ころ伊那市高遠町殿宮神社より、中央構造線北部の谷地形を遠望。
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 同日12:30ころ、伊那市長谷地区ざんざ亭で特別メニュー(カレーライス)。

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 同日16:00ころ、伊那市長谷地区・お鷹井筋を見学。

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雪形等の新聞記事

 ”化石片人” さんから 今年の雪形や、馬引く猿絵馬の紹介記事 が届きました。

 5/22 長野日報

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 5/24 よみうり

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 5/24 長野日報

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東北の駒と馬の旅日記

 我がファンクラブ ”一戸の純情ガイド” さんからの旅日記が届きました。
 北陸のエース達が、東北の純情ガイド夫妻と一緒に、新緑と、残雪と、駒と馬を満喫した4泊5日の旅日記です。
 5月20日は駒木立と七時雨山。
 藪で駒木立には登れなかった盛岡のきれいどころからも、「私達も連れてってぇ~」と声がかかる。
藪で心配した山道が、エース登場と言う事で土塁の上もきれいに刈り払いされていてビックリ。
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     七時雨山も北峰、南峰も無事クリア。
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     下山3合目あたりから、背景に駒木立
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 雪解けでトロトロ登山道は長靴が正解。
下山後、八甲田の猿倉温泉へ。幻の銘酒「さる倉」は   500cc、2,700円。
 今の時期のブナには感動する。山麓から標高が上がるに連れていろいろな表情を見せてくれる。
 21日は猿倉岳から駒ヶ峯。
 南八甲田はまだまだ雪の世界。5mくらいの残雪の中を猿倉岳を目指して直線的に登って行く。
      三角点が青森トドマツの林の中で露出していてホッとする。
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   駒ヶ峯へは多少のアップダウンはあるものの、スキーツアーの標識を確認しながら進む。
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 道の駅「いかりがせき」で竹の子をゲット。ホテルの駐車場で煮て、酒の肴。
 22日は駒頭ノ森と秋田市の龍馬山。
 駒頭ノ森では秋田市在住の小笹さんから大変お世話になりました。
 情報が少なく、地元の人から聞いても分からなく、山を知っている人でも、道はないよと言うくらい。
 地図上で大滝付近まで入れると言う事だった。案の定、通行止めのトラロープ。
 我々はロープをはずして行ける所まで入って駐車する。
 藪漕ぎ名人も背丈を越える藪を必死に進んでいく。
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 ここには山菜もたくさんあった。コシアブラ、シドケ等。
 30分の予定が1時間の藪漕ぎ。高田さんのメッセージかなと思われる赤いテープを発見。
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 下山して龍馬山へ。登山口に難儀したがここも無事クリア。
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 この日も収穫した、コシアブラ、フキノトウの天ぷら、シドケのおひたしを酒の肴にしている。
 23日は由利本荘市の龍馬山。ここもラッキーだった。
 5月25日までの通行禁止の看板。工事車両が入っていたので入っていく。登山口の向こう側で工事していた。
 交通整理のおじさんに、富山から来ましたのでちょっと登らせてくださいとあいさつをして行く。
 龍馬神社で記帳。
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    ここで、再開を約束して、南と北へのお別れです。

駒頭ノ森

 我がファンクラブ屈指の(駒仙人亡き後)駒こだわり人 ”K3” さんからの登攀報告です。

 秋田県秋田市上新城地区の小又川源流に位置する「駒頭ノ森(667m)」を登りました。 (1/25,000地形図「蓬内台」)
 5月20日、小又川沿いの小又林道を進んで、小又川渓流の大滝手前に通行止めのロープゲートがあって、そこに駐車した。
 小雨の中、駐車地から新緑と雪解けの終わった林道を約6km歩んで駒頭ノ森の麓に達し、駒頭ノ森から南に延びている尾根を目標に入山しようと現地を確認したら、林道に沿った約100mの間に4箇所に赤テープが貼付されていた。
 尾根末端にある崖の左端から入山し、部分的に笹藪など藪こぎがあったが、途中にブナの樹二本が合体したような巨木があって、ここまでは赤テープが見つけられて登れた。
 ここからは藪が凄くなり、雑木や笹藪をかき分けて進んで、尾根状の上に出て、なおも雑木をかき分けて忠実に尾根上を進んだ。
 ガスで視界が遮られいるので、どこが山頂か全くわからない。カメラのGPS高度計で700mが最高で、そこから先は698m、696mとずれるので、この最高地点が山頂と思った。
 ここから先は今までより以上に藪が凄くなり一歩歩くのに難儀し、戦意喪失となった。
 地形図によると三角点は補助記号なので設置されていないかも知れないが、設置されていてもこの藪では探しようがないと思った。
 最高地点に赤テープを結んで往路を下山した。
     写真は、 駒頭ノ森 山頂付近
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     そして 最高点
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岩手山の雪形

 ぶらり東北の旅に出かけました。八戸から東北道を南下中の松尾八幡平あたりの走行中
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 ご覧のとおり 南部富士と言われた 岩手山 です。 改めて岩手山SA(上り線)から

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 岩手山の雪形と言えば、大鷲 が有名ですが、今にも飛び立とうとする大鷲に見えませんか?


馬へんの漢字遊び(その1)

 何事にも 超凝り性である ”化石片人” さん。 また悪い病気?(否失礼)が始まったのかな?

馬偏の漢字紹介(その1):学研漢字源:IME:角川漢和辞典:大修館漢語林などによる。 20130515TK馬へんの漢字は、馬の種類・状態・働き・扱い方・馬に似た(近い)動物などを表す。=馬の大きさ、毛色や毛並などによるいろいろな馬・雑種を表現している34の漢字を並べた。馬:バ・メ:うま・ま     =家畜に一種・乗用、運搬用に用いた・月の精・月・かずとり・ののしる・わるい・接頭語に使う馵:シュ           =左の後足が白い馬・ほだす・馬の足をつなぐ馲:タク・チャク       =馲馹(馬偏に白)・らば・馲駝・馲駞・らくだ駃:ケツ:ケチ・カイ・ケ   =生後七日で母馬より速く走るという・らばの一種駃騠は、速く走る馬駁:バク・ハク・ホク     =まだら・まじる・ぶち・まだらうまぶち馬・毛色が純一でない馬・まだらになる・いりまじる・たがう・あやまる・まちがう・せめただす・正す・かたよる・荷物を積み下ろしする・人の意見などを非難する馼:ブン・モン        =たてがみ赤く目が黄金色のしま馬駒:ク:こま         =小さい馬のこと・二才馬・小馬・馬の総称・      若い元気な馬・5尺以上6尺以下の小馬・6尺以上は馬という・わかもの・こども・将棋の駒・弦楽器の部分名・物の間にはさむ小型の木片駝:タ・ダ          =駱駝・ラクダ(砂漠の乗用・運搬用)・のせる・ダチョウ(最大の鳥)・せむし・くぐせ・つむ・家畜に荷物を負わせる駓:ヒ:しらかげ       =しらかげ(白鹿毛)・つきげ・走るさま・      黄色と白色の毛がまじっている馬・桃花馬(つきげうま)駰:イン           =どろあしげの馬・浅黒い毛に白毛のまじっている馬・みずあお駮:ハク・ホク:バク:まだら・まゆみ=想像上の猛獣の名・形は馬に似て、虎豹を食うという・まじる・馬の毛色がまじる・ぶち・まだら・まだら馬・なじる駱:ラク           =かわらげ(黒いたてがみを持った白馬)・つづく・駱駝・走るさま・百越の一つの種族名駻:カン・ガン        =あらうま(あやつりにくい馬)・高さ6尺の馬駽:ケン           =くろみどりの馬・青黒色の馬   =駒騂:セイ:ショウ       =あかうま・あかい・赤黄色の馬・赤牛・赤色・      赤色の犠牲(生贄)駵・騮:リュウ:ル      =くりげ黒いたてがみの赤馬騏:キ・ゴ・ギ        =くろみどりの馬青黒色の馬・くろみどり・青黒色・碁盤目のような青黒い模様のある馬・すぐれた馬・駿馬騅:スイ           =あしげ(白に黒毛)・あしげの馬白い毛に黒色、濃い褐色などの毛の交じった馬ねずみ色の毛をした馬・項羽の乗った馬騋:ライ           =高さ七尺以上の馬騢:カ・ゲ          =つきげの馬赤と白とがまじった毛色の馬騧:カ・ケ          =口先の黒い黄馬・くちくろかげひばり・浅黄色の馬・かたつむり騨・:ダ・タ・タン・デン・テン=あしげ(あしげに灰色のまるい模様のある馬)・野生の馬騵:ゲン:ガン        =腹の白いかげ(鹿毛)馬たてがみが黒く、赤毛で腹の白い馬驄:ソウ           =あしげあおうま青と白の毛の交じった馬驃:ヒョウ・ビョウ      =しらかげ(白鹿毛・白いまだらのある黄色の馬・たてがみと尾の白い黄馬)・馬が速く走るさま・強い・勇ましい騾・:ラ          =雌馬と雄ロバの雑種【家畜】・からだは小さいが力が強く力役にたえる驊:カ:ゲ          =あかげあかげの馬・赤色に茶色をおびた毛色驕:キョウ          =おごる・たかぶる・おもいあがる・ほしいまま・いばる・気まま・わがままにふるまう・人を見下げる・馬が首を高くあげる・あざむく・だます・つよい・元気がよい・元気のよいさま・野馬高さ六尺の馬野生の馬驔:タン:ダン・テン・デン  =くろくりげ背の黄色い黒馬すねの毛の長く白い馬驖:テツ:テチ        =くろくりげ赤黒色の馬驢:リョ・ロ         =馬に似ていて馬より小型,耳が長いうさぎ馬・うさぎ馬・ロバ【家畜】驤:ショウ・ジョウ・ソウ   =あげる・あがる・馬が首を立てて(あげて)走る・馬の首が上がったり下がったりする・おどる・おどりあがる・走る・右の後足が白い馬驪:リ・レイ・ライ      =くろうま黒毛馬純黒色の馬・くろい・くろ()・ならべる・そえる・二頭立ての馬車:タン・タ:ダ・ダン    =まだらうま連銭あしげ虎葦毛虎のような模様のある青黒色の馬たてがみの黒い白馬・つかれてあえぐ・馬がつかれてあえぐさま・全身が白い毛で,ところどころに灰色の斑紋のある馬

 


黒部川扇状地と越中駒ヶ岳

 ”北陸のエース” さんから 活動記録が届きました。

 夜明けの越中駒ヶ岳です、右が北駒ヶ岳クッキリと駒形が見えています。
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  黒部川扇状地の水田に浮かぶ越中駒ヶ岳です
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      わが町の最高峰・負釣山からの水浸しの扇状地です、先端部の青い部分は日本海です。田植が終ると淡い緑から濃い緑へ、黄金色の収穫期から純白の世界へと四季はうつろっていきます。
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 負釣山・南峰からの黒部峡谷をはさんでの越中駒ヶ岳です、稜線上は雪ですが、徐々に黒部の渓から緑が這い上がっていきます。

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駒の話シリーズ 63:円仁と焼石駒ヶ岳

 

 仙台伊達藩が編集した地理書である『封内(ふうない)風土記』の胆沢郡西根村の項に「駒嶽は仙台と南部の境にあり、山頂に観音堂がある。この堂宇の造営、補修は仙台藩、南部藩の両者が行っている。伝えられるところではこの観音堂は嘉祥3850)年に慈覚大師が創建した」とある。駒嶽は駒形山、午の峰、駒形とも言われるとも記している。この慈覚大師の記述には大変興味深いものがある。また観音堂とは今日の駒形神社を指している。

 『封内風土記』は宝暦131763)年、仙台藩主伊達重村の命により儒臣田辺希文(16921772)が9年かけて明和91772)年に完稿させた。この完稿の年に希文は80歳で没した。希文は生前に「老齢なため現地踏査が不十分であった」ことを認め、その実施調査を息子の希元に依頼したが実現しなかった。

 慈覚大師とは天台宗第3代座主の円仁のことである。円仁は延暦13794)年下野の国都賀郡に生まれ、貞観6864)年に71歳で逝去した。円仁は東北地方を2度巡錫したとされる。最初は師の伝教大師最澄(天台宗初代座主)の東国順化に随行(弘仁8年、817)した。2度目は天長6~7829~30)年である。この2度目の巡錫の最中、天長713日に発生した出羽地方の大地震の報を聞くと円仁は救援の為に出羽に入ったとされる。このように慈覚大師と東北との結びつきは非常に太いものがある。伊沢不忍の調査であるが、東北地方で円仁の開基と伝えている寺院は140寺、中興は22寺、円仁に係る仏像などは169寺にあるとしている。このことは『封内風土記』の胆沢郡の記述でも同様である。駒嶽の観音堂の記述以外にも慈覚大師の関わりが14例ある。

 八幡村の八幡宮;嘉祥年間(848~51)に勅を受け慈覚大師が創建

 佐野村の基証誠山霊験寺;嘉祥3850)年に慈覚大師が開く

 永澤村の観音堂;慈覚大師が本尊を造る

 永澤村の薬師堂;慈覚大師が本尊銅仏を造る

 永澤村の16番札所;慈覚大師が創建

 永徳寺村の熊野神社;慈覚大師が本地仏を造る

 相去村の平城山観音;慈覚大師が本尊を造る、何時かは不詳

 西根村の鶴峯熊野神社;本地仏の銅像は慈覚大師

 西根村;駒形山の山麓の廃寺は慈覚大師の開基であった

 上姉礼村の城服山新山寺;勅を受け嘉祥3年創建する、自作の聖観音を安置する

 前澤村の観音堂;本尊は慈覚大師の作、何時かは不詳

 上衣川村の薬師堂;嘉祥中に慈覚大師が創建

 下衣川村の月山権現社;嘉祥3年慈覚大師が勧請

 下衣川村の荒澤権現社;嘉祥3年慈覚大師が勧請

 以上の記述で年号が明確なのは嘉祥3年か嘉祥年間である。では嘉祥3年の円仁(57歳)を略年賦で見ると

 2月;仁明天皇の不予により仁寿殿で文殊八字法を修する

 3月;清涼殿で七仏薬師法を修す

 4月;惣持院を建立したいことを要請する

 9月;惣持院に14僧を置くことが認められる

 12月;延暦寺に金剛頂経および蘇悉地経業の年分度者2人を加えることが勅許される

となっている。嘉祥3年に円仁が東北の地にいたことはあり得ない。

 では慈覚大師円仁がこれ程までになぜ東北に登場するのであろうか。

 山形市にある通称山寺の宝珠山阿所川院立石寺は寺伝で開山(貞観2年、860)を円仁、開祖を円仁の弟子の安恵(やすね)としている。そして「慈覚大師の遷化の後、(山寺の)岩窟に尊体を納め奉る所なり」(『立石寺貫主記文』)ともしている。安恵(794~868)は円仁についで天台宗の第4代座主であり伝燈法師である。安恵は承和11844)年から6年間出羽の国の講師(こうじ)として赴任している。この間安恵は出羽一帯が法相宗であったのを、広く天台宗に帰衣させた。いわば円仁が東北巡錫でまいた種を、安恵が刈り取ったと言える。円仁と安恵の共同布教が、円仁に収斂され、いずれの開山、創建などすべてが慈覚大師とされたのであろう。

 宗教学者の山折哲雄は「東北地方における慈覚大師の伝説は、何らかの形で征服された土地の霊と犠牲になった人びとの死霊を祈り鎮めるための宗教政策が反映しており、そこに東北の地を中央の権力が掌握していくなかで生みだされた政治と宗教の相互補完的な関係がある」とし、「犠牲者は蝦夷(えみし)ばかりでなく、下野など東国から移住させられた民衆、逃亡者などを含む」ともしている。
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雪形ニュース

 ”化石片人” さんからの 雪形ニュースです。

 信州では、雪形ニュースが流れています。信濃毎日新聞記事を転送します。
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貴重種シナノコザクラ

 不死身男の ”化石片人” さんから またまた追伸!

 4月29日(月)みどりの日、午後伊那市長谷中尾座にて、中尾歌舞伎鑑賞。15時解散後、有志4名で、戸台川幕岩(石灰岩大露頭)探索。
 

 例年より早く開花したシナノコザクラ群生地(石灰岩地帯特有絶滅危惧種)を観察。最近は南アルプス林道バスに乗ると車窓からもたくさん観察できます。

     4月29日17:00ころの戸台川河原より、東(甲斐)駒ケ岳・駒津峰を望む。

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     幕岩の石灰岩壁に咲く、シナノコザクラ。

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