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杓子岳の雪形

 ”化石片人” さんから 信濃毎日新聞 による杓子岳の雪形 が届きました。
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ロングスパッツ論議

 最近、雪山や悪天候でもない普通の晴天、普通の山道でも、わざわざロングスパッツを着用して歩行している人をよく見かけるようになりました。頭の悪い我が房総(暴走)老人には、なかなか理解ができない事象なのであります。

 自分は、このロングスパッツは、雪山でしか着用しないものとばかり思っていたのです。最近、山と渓谷社から『山用具の基本』が出版されたのです。

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 さあ、この本には、このロングスパッツの事をどう記しているか、興味深々。記事は

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 上のとおりであります。要約すると、雨による足元の防水、または靴内に小石が入るのを防止するもので、元々、国内では雪山で使われていた・・・と書かれています。何故、現在ここまで拡がってきた事については、ゴアテックスの誕生により雨用のレインスパッツが一気に広まったとあります。最近みかける着用姿は、このレインスパッツだったのですね。

 また、雨対策とすれば、着用は基本的に雨具の内側に。雨具の上から付けると裾が汚れるのは防いではくれるが、パンツとの間に浸水してしまう・・・・とあります。

 結論  雨対策ならば、雨具の内側に着用。小石対策ならば、ショートスパッツでよい。

 わざわざ、雨でもないのに、雪山でもないのに、ロングスパッツを着用して歩行する意味が判りませんが、 皆さんは、どうお考えでしょうか?


富士山瞥見(べっけん)

 我がファンクラブ 尊敬するご意見番 ”駒名主” さんの提言!

  622日、カンボジアに首都プノンペンで開催された世界遺産委員会は、富士山と三保松原がセットでユネスコの世界文化遺産への登録を承認した。文化遺産に登録されたことは大変嬉しいことであるが、文化遺産の登録申請以前に自然遺産としての申請は拒否されていることを忘れてはいけない。富士山麓の産業廃棄物の不法投棄、し尿の垂れ流し、広大な軍事演習場などは自然遺産として相応しくないとされた。
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 この世界遺産委員会で約20か国の外国の委員から「富士山を称賛する意見」、「三保松原を題材とする美術品を評価する意見」などが出されている。各委員の見識に敬意を表するものである。しかし、富士山に対する興味や関心の高さはユネスコの委員に限らず、一般の市民も同様との事で海外からの観光客の増大が見込まれている。

 冨士山に対する外国人、特に西洋人の興味は今日ばかりでなく、江戸初期までさかのぼれる。スウェーデン人のウーロフ・H・ヴィルマンはオランダ商館長の江戸参府(総勢6人)に同行した記録を『ヴィルマン日本滞在記』として残している。1652(慶長5)年122日の記録は「蒲原を過ぎ、海岸に沿って塩田を眺め、富士川を船で渡り、富士の山という非常に高い山のそばを通った。頂上に雪を頂き、中腹には雲がたなびいている」と富士山を正確に描写している。

 最初の登山者はイギリスの初代駐日公使のラザフォード・オールコックである。オールコックの著『大君の都』によると、一行は総勢8名、3人の案内役の山伏と数名の強力の協力により富士宮口から登山を開始した。途中5合目ムロで1泊、山頂では2泊している。一行のロビンソン大尉の測量によると噴火口の標高は13,577フィート、最高峰は14,177フィート(4321m)としている。実際の標高は3776mであるので誤差が大きい、測量器具の整備不良であろうか。彼らはお鉢・御内陣の8峰を確認しているので、当然駒ヶ岳にも足跡を残している。                                                                             

 ここで、管理人も一言。  今は、五合目から登る人が殆どでしょうが、自分の若かりし頃は、御殿場から一合目、二合目・・・と登って行ったものです。

 何しろ、昨年の7月と8月の二ヶ月間で、何と32万人も登ったそうです。これからは、五合目から頂上まで数珠繋ぎとなってしまうのでしょうね。

 ところで、何合目? とよく言いますが、この由来をご存知ですか? これは、昔の富士登山では、麓からランプを灯して登って行くのに、油を1合消費した所を一合目、2合消費した所を二合目(と言うふうに 5合使えば 五合目です)が由来なのです。参考まで。

 


八ヶ岳山麓の山荘

 NPO法人 山のECHO代表理事 上さん山荘の集いを ”駒にえべし” 特派員から速報です。

 

 15-16日の上さん山荘を中心にした八ヶ岳山麓の山行については、別途報告されると思いますが、山荘での夕げに参加できましたので、その部分だけ私から報告させていただきます。
写真は山荘における懇親会の様子です。
しめの記念写真は駒ヶ岳ファンクラブの旗を中央に参加者全員で(実は我が家内も映っています)撮ったものですが、旗の中心に吉田御大の顔が入ってしまいました。これもなかなかです。
夕食は手分けして、焼き鳥の串刺し、七輪の火起こしなどを分担準備し、18時過ぎに到着した女性陣を迎えました。外は久しぶりの大雨となりましたが、心地よい風とみんなの語らいで四合瓶は一本、二本と横になっていきました。大盛り上がりは富士山の入山料、トイレの利用料などの環境問題の話題。山の自然を守るにはやむを得ない。いや必要なことである。という結論に達しました。特に「男の甲斐性」と認識の低い「立ちション」は絶対に行ってはならないことと女性陣から提案がありました。そのとおりです。宴も時間を忘れて盛り上がりましたが、21時過ぎ明日もあり、手分けして片付けに入りました。皆様ご苦労さんでした。
以上

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炭おこしの奥田さん.jpg
八ヶ岳山麓(上さん山荘にて).jpg
片づけの谷さん・中山さん.jpg



 


中ア 烏帽子岳

 前報で、少しだけ触れている ”化石片人” さんの登攀記録抜粋です。

 昨年から我がファンクラブに入会された 伊那百名山の会会長さんのお誘いで 中ア主脈南部の前衛鋒、烏帽子岳に行ってきました。

     コースは、鳩打峠~小八郎岳~烏帽子岳 位置関係は、下図参照

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朱で囲んだ所が今回のメインルートです。
     烏帽子岳頂上から、中ア・南駒ヶ岳を望む。
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     同頂上より、南ア連峰を望む(中央あたりが塩見岳)
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     同頂上にて、同行者と記念撮影
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     小八郎岳付近で、ベニドウダンツツジ
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     小八郎岳付近より、南ア連峰を望む
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詳細については、後日、ファンクラブ通信に掲載される予定です。

駒ヶ根だより(6月第1報)

  ”化石片人” さんからの定期便です。
 07~10日と駒ヶ根滞在でした。
 07日は、朝の野良、10:00ころから長谷公民館に出向き、午後は断層(仏像構造線)露頭の観察と整備のため3時間ほど雷雨の中をスーパー林道往復。
 08日は、終日駒ヶ根山家で野良(ジャガイモ・ニンニク・タマネギなどの草取りなど)
 09日は、中ア・烏帽子岳(2194.5m)登山。別に報告します。
 10日は、09:00長谷公民館集合、伊那市主催のジオパークガイド講座第2回(構造線露頭・三峰川発電所・秋葉道散策・三峰川の地形・美和ダムなどの見学)15:30終了、夕刻伊那市創造館での企画展示見学。
      8日の朝、山家より宝剣岳は雲の中。
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      同日夕刻、山家より夕日に映える宝剣岳あたり。
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      9日の06:10ころ、山家より宝剣岳。
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      10日の08:00ころ、山家より
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アルコールラベル

 我が駒ヶ岳ファンクラブ初代会長 ”駒仙人” さんが永年にわたってのコレクションの一つであり、駒へのこだわりをより一層顕著にした遺作を、やっとまとめることができましたので、ここに発表する次第であります。

 実際のラベル数は、240種類を越える膨大なものでありますが、ここに、そのほんの一部のみを表示いたします。

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 資料は、CD 1枚にまとめています。ご希望の方は、事務局まで連絡願います。

駒板山

 またまた 駒こだわり屋さんの発信です。

宮城県名取市内の名取丘陵に駒板山(197.8m)があって、

 

 6月6日に片平善明会員と一緒に登ってきました。

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三角点
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コマノカミの頭

 我がファンクラブ屈指の駒こだわり屋 ”K3” さんが こだわりの一発です。

 我が駒ヶ岳ファンクラブの会長職の代名詞は、駒の頭(コマノカミ)と称されている。

 このコマノカミと称されている山が、上越、越後湯沢町土樽近傍に、コマノカミノ頭1,464m)が鎮座している。

 61日、梅雨の晴れ間を得て、太源太山登山口から「謙信ゆかりの道」を経て、

シシゴヤノ頭(1472.6m)に至り、コマノカミノ頭を目指したが、疲れ切ってシシゴヤノ頭でリタイアした。

 会長の山へは登るのでなく、遠くから望見するほうが良いと思った。

  

 

 写真は、シシゴヤノ頭から見たコマノカミノ頭です。

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駒の話シリーズ 64:猿駒引き

 

 山陽新聞によると、岡山大学埋蔵文化財調査研究センターは2013523日、岡山市北区鹿田町の鹿田遺跡で、奈良時代(8世紀後半)の井戸跡から絵馬2枚が4月中旬に出土したと発表した。

 この2枚の絵馬の内の1枚は「猿駒引き」(猿が馬を引く図)で、他の1枚は「牛」であった。「猿駒引き」図は横23cm、縦12cmで木版に墨で描かれ、鞍、鐙が明確に確認できる。「牛」図は横21,5cm、縦2,3cmで墨書きであるが、牛車を引く飾り帯が赤い彩色で表現されている。

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 鹿田遺跡は弥生時代から中世まで続く集落遺跡であり、特に平安時代は藤原氏の荘園であった。井戸跡は4基あり、絵馬以前に土師器高杯(古墳時代初頭)、「專」や「玉」の文字が書かれた墨書土器・須恵器(8世紀後半~9世紀)や人形に似た斎串(平安時代)、曲物(平安時代)、白磁碗(平安時代後期)、牛頭蓋骨(平安時代後期)なども発掘されている。

 この2枚の絵馬の用途であるが、研究グループによると絵馬以外に赤く塗られた土師器が正位置に置かれていたことから、井戸を埋める際の祭祀的な行為に使用されていたようだ。

 絵馬の来歴や発掘事例などは駒の話その20で紹介しているが、古いのは前期難波宮(645686年)出土の36枚である。猿と馬のかかわりは「馬屋と猿」(駒の話その38)と「馬と猿の怪しげな関係」(駒の話その54)で紹介している。猿引きの古い資料は「融通念仏縁起絵巻」(清凉寺本 1423年頃)である。

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