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富士山瞥見(べっけん)

 我がファンクラブ 尊敬するご意見番 ”駒名主” さんの提言!

  622日、カンボジアに首都プノンペンで開催された世界遺産委員会は、富士山と三保松原がセットでユネスコの世界文化遺産への登録を承認した。文化遺産に登録されたことは大変嬉しいことであるが、文化遺産の登録申請以前に自然遺産としての申請は拒否されていることを忘れてはいけない。富士山麓の産業廃棄物の不法投棄、し尿の垂れ流し、広大な軍事演習場などは自然遺産として相応しくないとされた。
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 この世界遺産委員会で約20か国の外国の委員から「富士山を称賛する意見」、「三保松原を題材とする美術品を評価する意見」などが出されている。各委員の見識に敬意を表するものである。しかし、富士山に対する興味や関心の高さはユネスコの委員に限らず、一般の市民も同様との事で海外からの観光客の増大が見込まれている。

 冨士山に対する外国人、特に西洋人の興味は今日ばかりでなく、江戸初期までさかのぼれる。スウェーデン人のウーロフ・H・ヴィルマンはオランダ商館長の江戸参府(総勢6人)に同行した記録を『ヴィルマン日本滞在記』として残している。1652(慶長5)年122日の記録は「蒲原を過ぎ、海岸に沿って塩田を眺め、富士川を船で渡り、富士の山という非常に高い山のそばを通った。頂上に雪を頂き、中腹には雲がたなびいている」と富士山を正確に描写している。

 最初の登山者はイギリスの初代駐日公使のラザフォード・オールコックである。オールコックの著『大君の都』によると、一行は総勢8名、3人の案内役の山伏と数名の強力の協力により富士宮口から登山を開始した。途中5合目ムロで1泊、山頂では2泊している。一行のロビンソン大尉の測量によると噴火口の標高は13,577フィート、最高峰は14,177フィート(4321m)としている。実際の標高は3776mであるので誤差が大きい、測量器具の整備不良であろうか。彼らはお鉢・御内陣の8峰を確認しているので、当然駒ヶ岳にも足跡を残している。                                                                             

 ここで、管理人も一言。  今は、五合目から登る人が殆どでしょうが、自分の若かりし頃は、御殿場から一合目、二合目・・・と登って行ったものです。

 何しろ、昨年の7月と8月の二ヶ月間で、何と32万人も登ったそうです。これからは、五合目から頂上まで数珠繋ぎとなってしまうのでしょうね。

 ところで、何合目? とよく言いますが、この由来をご存知ですか? これは、昔の富士登山では、麓からランプを灯して登って行くのに、油を1合消費した所を一合目、2合消費した所を二合目(と言うふうに 5合使えば 五合目です)が由来なのです。参考まで。

 


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