駒の話シリーズ 61:さば神社
さば神社の「さば」は左馬とも書くが、駒の話その20で紹介した「ひだり馬」ではない。左馬以外にも左波、左婆、鯖などの文字が当てられている。そして特異なことに、さば神社は神奈川県の境川(古くは高座川、田倉川)流域のみで祀られていてその数は12(地名研究家の小寺 篤調べ)のみである。
さば神社の由来についての文献はわずかで、仮説がほとんどで不詳な点が多い。
その主な仮説とは
1 一般的にその年にはじめて収穫した穀物などを初穂として神仏に捧げられるが、初穂として鯖を神に供えたとの説
2 猟師などが獲物を均等に分配することをサバワケと言うが、サバ即ち分割から裂く、さらに裂くが境するに転化したとの説
3 田の神の別名の“さんばい”(オサバイ、サンボウともいう)の“さ”は田植祭りのことであり、農耕の神として奉ったとの説。田植の始めをサオリ、終わりをサナブリと言う。
4 大和市上和田の「左馬神社」について『新編相模風土記稿』に「村の鎮守なり土人の説に左馬頭義朝の霊を祀ると云」と述べている。これは尾張で源義朝は殺されるが、家来の金王丸は相模まで逃れ、義朝の霊を祀ったとされる、いわゆる御霊信仰でありそれが残っている説
5 境川は氾濫を繰返していたので、境界の神、洪水鎮撫の神とする説
などである。
さば神社の12社とは以下の通りである。
1 神田佐婆神社(横浜市泉区和泉町);祭神は木花咲郁姫、源満仲(左馬頭、治部大輔、鎮守府将軍を歴任)、寛文年中(1661~73)に伊予河野氏の後裔の石川治右衛門が奉斎した。
2 左馬社・左馬明神社・鯖大明神(横浜市瀬谷区橋戸);祭神は源義朝、境川沿岸の高座郡6社・鎌倉郡5社の一つ。
3 左馬神社・左馬明神社・鯖大明神(旧村社、大和市上和田);祭神は源義朝(左馬頭、頼朝、義経の父)、宝暦14年(1764)に名主の渡辺兵左衛門と小川清右衛門の両名の建立とされる。『新編相模国風土記稿』には「佐馬明神社」と記す。
4 左馬神社・鯖神社・鯖大明神(大和市下和田);祭神は源義朝、棟札に寛文10(1670)年に創建されたとある。『新編相模国風土記稿』には「鯖明神社」と記す。
5 飯田左馬神社(旧村社、泉区上飯田町);祭神は源義朝で、延応元(1239)年に飯田三郎能信が奉幣した説と12世紀後半に飯田五郎家義の創建説の両説がある。また天正18(1590)年に社殿修復とも伝えられている。
6 宮の脇鯖社(旧村社、泉区下飯田町);祭神は源義朝で、延応元(1239)年に飯田三郎能信が奉幣。後に飯田五郎家義の創建説と戦国時代に川上藤兵衛が創建したとの両説がある。また天正17(1590)年に筧助兵衛為春が修復したとされる。
7 中宮左馬神社(旧村社、泉区和泉町中宮);祭神は源満仲で、文化13(1816)年と天保6(1834)年の棟札が残っている。
8 鍋屋鯖神社(泉区和泉町);祭神は天照大神、源満仲で、慶長年間(1596~1615)に勧請したとのいわれがある。元禄2(1689)年に社殿修復したとの棟札が残こっている。
9 鯖神社(藤沢市湘南台、今田);祭神は源義朝、棟札により元禄15(1702)年に井上瀬兵衛が創建したことが分る。
10 七つ木(鯖明)神社(旧村社、藤沢市高倉);祭神は源義朝、『新編相模国風土記稿』には「七ツ木鯖明神社」と記す。高倉は高麗系の渡来人の入植地とされる。
11 佐波神社(藤沢市石川);祭神は源義朝、慶長6(1611)年にこの地で勢力があった石川6人衆が勧請したと伝わる。
12 稲荷社・左馬神社(藤沢市西俣野);稲荷社所有の木牌に「左馬大明神御守護」と書かれている。『相模国風土記稿』に「鯖明神社、左馬頭義朝の祠なり」と記述されている神社が、この稲荷社だと判明している。
以上の12のさば神社の祭神は全て源氏の武将満仲と義朝である、源氏と何らかのつながりを明確に伺わせられる。また佐婆神社、中宮左馬神社、鍋屋鯖神社の3社の祭神が満仲で、残りの8社は義朝である。満仲は境川の支流の和泉川で境川の本流は義朝との説も有るが中宮左馬神社は境川べりであり、この説は成立しない。満仲、義朝の分布はさば神社の存在そのものと同様に不明である。
七さば参り
境川べりの7つのさば社を回ると疱瘡やはしかよけになると信じられていた。七さば参りは孫を連れたおばあさんの仕事で、孫を背負い、弁当を持って一日かけて歩いたそうである。
お参りの順序は大和市の上和田、下和田の左馬神社、藤沢市の七つ木神社、今田の鯖神社、横浜市泉区の下飯田の鯖神社、上飯田の左馬神社と回り仕上げは瀬谷区橋戸の左馬社であった。